大学側は受け入れに消極的

しかし、大学側は教育課程が異なることを理由に、受け入れには消極的であった。大学側が特に問題視したのは、専門科目よりも、一般科目(教養科目)の単位数の不足である。高専からの編入学が定着した現在でも、京都大学などのように高専からの編入学を3年次ではなく2年次に受け入れる大学もある。

また、大学は入学後の転学部に厳しい要件を設けているところが多く、高専からの編入学生のみを優遇することも難しかった。

『高専―戦後日本のエンジニア養成』(著:手嶋泰伸/中央公論新社)

そのため、高専卒業生の編入学の見込みが立たないまま、一期校一期生が5年生となる1966年を迎える。一期校の就職希望者は早々にほぼ全員が内定を得ていたが、進学希望者の見通しは立たない状況であった。

結局、沼津高専開校時の世話校であった静岡大学が、沼津高専生に限って3年次編入学の門戸を開き、6名の入学を許可するなど、ごく限られた受け入れにとどまった。そのなかには、のちに研究者となり、教員として沼津高専に戻った柳下福蔵などがいる(「高専における学生生活と卒業後」)。