宝塚時代に学んだこと
私は、与えていただいた役を演じるのですが、これまで自分をしっかりと持っている女性の役、多いですね。舞台だけで90人以上のそれぞれの役がわが子みたいな感じです。『マイ・フェア・レディ』のイライザは、20年間600回以上演じましたから、いとおしさは格別かもしれません。
私が今、幅広い役に挑戦できるのは、やはり宝塚歌劇団で過ごした年月があったからです。1971年に中学校を卒業して1度目の受験で音楽学校に合格したので、同期の中では一番年下でした。以来、多感な時期に様々な事を学んだおかげだと思います。
19歳から1年半、宝塚以外のところに出演する機会をいただきました。当時「宝塚って何?」という人や「どうせ宝塚調でしょ?」という反応に接することもあり、20歳ぐらいで、宝塚を俯瞰で見るようにもなって。そこで、古き良き伝統を守り、次代に受け渡すのはもちろん大事だけど、今の風を入れることも必要だと思ったんです。そこで自分なりに、新しい男役像を模索しました。
宝塚は、音楽学校を卒業し、劇団に入団して個人契約になっても呼び名は「生徒」。退団するまで同じです。また古くからのファンの人の中には過去にいた先輩方と比べ「あなたは〇〇ちゃんタイプ」と型にはめたがる風潮もありました。私は様々な役をいただくうちに、やはりプロ意識を持つべきだという気持ちがどんどん芽生えてきて、新しい男役像を求めてしまったので、あの子はどこにも属さない、あの子は異端児、よく言えば革命者などと言われたこともあります。
その後、ついに月組のトップになると、その私が新しいカテゴリーになって、「あの子は真央ちゃんタイプね」って(笑)。私は生意気にも、宝塚の月組のトップではなくて、トップオブトップを目指そうと考えました。だからその後も必死でしたね。もしそのころの私が宝塚の新たな1ページを開いたことになっていればうれしいです。
トップになるとき、入団2年目の黒木瞳さんが相手役に抜擢されました。私は自分が教えられることは全部彼女に教えたつもりです。先輩の中には「見て覚えなさい」という人もいますけど、そんな時間はなかったんです。黒木さんに「普通は何年もかけて学ぶことをあなたは今、出来ないといけないのだから」と必死でコミュニケーションをとりながら励ましていました。彼女もよくついてきたと思います。そのころから根性がありましたね。
真矢ミキさんも黒木瞳さんと同期生で後輩ですが、宝塚に入って私を見て衝撃を受けたと言ってます。彼女も異端児、革命児と言われていましたね(笑)。今ではとても仲良しです。この年になると、仲のいい友人ってかけがえのない存在。大切にしていきたいです。
最近は、CMでの私の振り切った姿が話題になっているそうで…(笑)ありがたいです。常に新しいバージョンを提案してくださるスタッフの方もプロ!素晴らしいんです。
あれは「女将(おかみ)みよこ」という京都の老舗の女将が、いろいろな人物に姿を変えているというシリーズなので…(笑)、これまでも角刈りの寿司職人とか、ちっちゃい宇宙人女将とか、いろんなものに変身してきましたが、私としては「女将みよこ」の品性を保つことを大事にしたいと思っています。(笑)
