写真/水上俊介  
2020年から東京ヤクルトスワローズの監督を務め、21、22年にセ・リーグ連覇。21年には日本一に輝いた高津臣吾さん(「高」は正しくは「はしごだか」)。輝かしい活躍の裏には、どんな思いが隠されていたのでしょうか。高津さんは「ユニフォームを脱いだ今だからこそ話せることがある」と語ります。そこで今回は高津さんの著書『愛と哀しみのスワローズ』より一部を抜粋し、「言葉を武器にした監督の真意」をお届けします。

どんなに絶不調でも、絶対に山田哲人を外さなかった理由

20代の頃は怖いものなしで、本当にすばらしい選手だった山田哲人も、30代を迎える頃になると故障がちになり、本来の能力を発揮することが難しくなってきた。

それでも僕は「三番・山田、四番・村上(宗隆)」の打順にこだわった。いくら不調であっても、僕は「三番・山田」にこだわり続けた。マスコミから、あるいはSNS上では、「山田を外すべきでは?」とか、「打順を下げて負担を軽減しては?」という意見もあった。

けれども、そんな外野の声にはまったく耳を貸すつもりはなかった。理由は単純だ。哲人を信用していたからだ。彼に代わる選手などいないと信じていたからだ。

本調子でない状態で起用し続けることは、チームにとっても、本人にとっても、必ずしもいいことではない。そんなことは重々理解している。過度な期待は、かえって選手の能力を潰すことにもなりかねない。

しかし、山田哲人は例外だ。山田は山田なのだ。

彼の場合は不振であっても、まったく結果が出なかったとしても、出場し続ける義務がある。それがチームの中心選手の宿命なのだ。他の誰よりも高額年俸を手にしているからには、出場し続けなければならない。それがスター選手の役割だ。哲人を見るために球場を訪れるファンの期待を裏切ってはいけない。

繰り返す、山田は山田なのである。