家康が「秀吉の妹を妻に」と望んだ…?
朝日姫を家康の正室とすることについては、秀吉が押し付けたもののように説かれてきましたが、家康が希望したとの説も出ています。
秀吉がその書状(天正14年5月24日付)の中で「家康の事、種々縁辺等の儀迄懇望せしめ候」(家康が種々、縁組のことを熱心に希望した)と書いているからです。
家康が縁組を懇望したのは、秀吉に臣従した後の自らの立場を盤石なものとしたかったからでしょう。
家康は秀吉の義弟となることによって、豊臣政権下においてその政治的地位を確固としたものにしていくのです。
