小栗の武芸
小栗が武芸を本格的に始めたのは天保6年(1835)頃である。剣術は、幕末の剣聖と言われた男谷精一郎(おだにせいいちろう)門下の島田虎之助に師事し、のち藤川整斎の門に移り、直心影流の免許皆伝の印可を受けた(村上泰賢「小栗忠順の出自と人物」)。
男谷派は他流試合を盛んに行っていた。男谷が他流試合によって自分の短所を補い、他者の長所を取り入れるという考えの持ち主であったことから、他流試合の中で自身の剣術を改良していこうと考えていたようである。
そうした中で、剣術の型を中段にするのが主となった。また、男谷は状況によって太刀の重さや長さを使い分けることが肝要であると主張している。合理的思考と実用性を追求した剣術である(軽米克尊・酒井利信「直心影流の分派についての一考察」)。
島田虎之助は、豊前中津(大分県中津市)、島田出身である。父は中津藩主奥平家の家士市郎右衛門である。天保8年(1837)、江戸の男谷道場を訪ねている。この時は未熟で男谷に勝てず、井上伝兵衛の道場を訪ねるがやはり敗れた。井上は再び男谷道場に行くよう斡旋(あっせん)し、島田は男谷に詫びて入門した。島田は浅草新堀に道場を構えていた。
