小栗が砲術を学んだのは…

ところで小栗は、窪田邸で鍛刀していた刀工源清麿(本名山浦環)に出会い、父忠高に頼んで「山浦環正行」(天保10年作か)を購入したといわれている。清麿の刀を欲したのは、材料を見極め、高い技術を注ぎ込むのがモノづくりの基本であると考えたからである。

小栗は田付流砲術を田付直愛(主計)に学んだ。直愛は、年若い甥鉄太郎が幕府の鉄砲方を拝命した際、後見を命じられ、本家の代役を果たした。直愛は講武所砲術師範役、御先鉄砲頭、御持小筒組之頭(撒兵隊)などを歴任している(樋口雄彦「沼津兵学校の生徒になった田付直男」)。

ただし、旗本の大八木醇堂(おおやぎじゅんどう)によると、田付直愛は文武ともに劣り、肝心の砲術も下手で、近視のため角打(射撃)の際には他人に狙いを定めてもらっていたほどだった。また、誰に対しても迎合的で、あまりに腰が低いので、殿中の坊主衆から悪口を言われていたという(野口武彦『幕末の毒舌家』)。この噂が事実だとすれば、小栗がこのような人物から直接砲術を学ぶだろうか。門下生で年長者の与力結城啓之助から習った可能性がある。

そもそも小栗の武芸を考えた場合、窪田助太郎の影響力が最も強かったと考えられる。窪田は柔術以外にも剣術や砲術などありとあらゆるジャンルに通じているからだ。この点を踏まえると、小栗の学んだのは田付流とその他の流派が加わった一種独特の砲術だった可能性を考慮すべきである。例えば、浦賀奉行所の与力を務めた中島三郎助も田付流と荻野流、集最流、さらに高島流を学んでいる(神谷大介『幕末期軍事技術の基盤形成』)。田付流のような和砲は、流派によって銃砲の規格が違うため、非常事態に備えて複数の流派を学ばざるを得なかったというのが実態であろう。

※本稿は、『小栗上野介-「逆賊」とされた開明派幕臣』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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