右/花さん1歳のときの写真。「目がクリクリしていて本当に可愛かった」(響子さん)
左/花さん7歳の七五三祝いで亀戸天満宮を訪れた(写真提供:木村響子さん)

絶対プロレスに向いている

中村 悪役プロレスラーで、シングルマザー。花さんはハーフということもある。差別や偏見はありましたか。

木村 お友達と喧嘩したとき「インドネシアに帰れ」とか言われちゃう。子どもって結構残酷でストレートにあたりますよね。花が「インドネシアへ行ったことないのに、帰れとか言われる」って泣きじゃくったこともありました。あとは「おまえの母ちゃんプロレスラー。めちゃくちゃ野蛮な職業だよな」と言われ、悔しくて泣きながら帰ってきたり。

私は母親ですけど、父親的なこともしなくてはいけない。普段は些細な揉め事はほったらかしにしていましたけど、ハーフであることや私の仕事のことをからかわれたときは親が出る幕。ちゃんと乗り込んで相手と話をしていました。

中村 それは頼もしいです。

木村 シングルマザーというのは画一的な見方をされがちなんですけど、100人いれば100通りの生き方がありますよね。ひとり親は幸せじゃないというのも偏見だと思います。花が亡くなってから、「幼い頃からさびしい思いをしていたんじゃないか」というコメントが寄せられましたが、花はひとりで留守番していることはなかったですし、おばあちゃんや周囲の人にこれ以上ないくらい強く愛されていました。

子どもの頃「お父さんがいない」とからかわれても、年の近い花のいとこが、「花のお父さんは響子ちゃんといってめちゃめちゃ強いんだからな」とイジメっ子を追い返してくれていました。(笑)

中村 花さんはそうやって守られていたんですね。花さんの子ども時代の夢はなんだったんですか?

木村 ダンサーになりたいと言っていました。プロレスのオープニングでダンスパフォーマンスがあって、それを見て格好いいと思ったみたいで。何年かダンスレッスンに通っていましたね。最初は絶対にプロレスラーにはなりたくないって言っていて、子どもでしたから、アイドル、モデル、女優と、なりたい職業は移り変わっていきました。

本記事が掲載されている『婦人公論』9月23日号

中村 花さんがプロレスラーになったきっかけは?

木村 最終的にアクション女優になりたいって言い出したんです。で、私が、受け身も取れないでアクション女優は無理、だったらまずプロレスをやりなさいと勧めた。もともとこの子は人前に出る仕事が向いていると思っていて、エネルギーを持て余してる感じがしたので、絶対プロレスに向いていると思いました。

プロレス会場の物販の仕事を手伝わせているうちに、花が「今日の誰々さんの試合は面白かった」とキラキラと目を輝かして話すようになりました。けれど進路の相談は特になかったです。私は、自分の人生なんだから自分で決めなさい、とずっと言っていましたし、花も自分のことは自分で決めるという信念はあったと思います。