※本稿は、服部文祥『サバイバル家族』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
住宅街にぽつんと残された古い平屋で
「うちのいえってボロいの?」と小学一年生の玄次郎(げんじろう)が聞いてきた。
「ああ? ボロいな。うん、かなりボロい」
ふたりでお風呂に入っていた。現在住んでいる「ゲタの家」ではなく、借家だった昔の平屋での話だ。3センチほどの小さなナメクジがすぐそこの壁をゆっくり這(は)っていた。湯船につかっている解放感から、私は深く考えずに玄次郎の質問に答えた。我が家のお風呂ではナメクジと蚊はほぼ毎晩、アシダカ君と呼ばれているアシダカグモの姿もときどき見ることができる。アシダカグモの子どもはかわいいが、成体のメスは手のひらくらいあり、カサカサと音を立てて壁を歩かれると、ビクッとする。それでもゴキブリの天敵なので、我が家では重要な同居人として扱われていた。
「だれかうちがボロいって、言ったか」と私は湯船の湯をすくい上げ、ぷはーっと顔を洗いながら聞いた。
「ううん」と玄次郎は首を振るが、歯切れは悪い。頭の回転が速い玄次郎は、気になることはすぐに目をくりくりさせながら聞いてくる。喘息持ちで、成長が遅い体質らしく、クラスのみんなで駆け出したら、最後に走ってくるタイプだ。
当時、私と家族は横浜北部の住宅街にぽつんと残された古い平屋に住んでいた。仮に私が玄次郎と同じクラスのいじめっ子で、なにか悪口を言うべき状況にあったら「あばら屋に住んでいるくせによ」と言うかもしれない。
登山を人生の中心に据え、山岳雑誌の編集手伝いをしていた1998年に、この古い平屋に引っ越してきたとき、書類には築37年とあった。引っ越してきてから2年目に祥太郎(しょうたろう)が生まれ、4年目に玄次郎が生まれ、7年目に秋(しゅう/女)が生まれた。子宝運のいい家で、都合、築47年ということになる。