日本ではなぜ自国礼讃の番組が多いのか

片や日本のテレビや書籍といったメディアでは、一時期ほどでもないにせよ、日本の欠点を確認するよりも、この国の素晴らしさに特化した企画が散見しています。こういう比較を持ち出すと「ヤマザキは出羽の守」などと捉える人がいますが、そもそも根本的な価値観や倫理観の違う国どうしを比べて、優劣など付けられるわけがありません。あくまで、日本という国ではなぜ自分たちの国への批判を堂々と口にするのがタブーなのか、それがどうも気になった、という話です。

もちろん日本にも興味深いドキュメンタリーもあることはありますし、8月になれば第二次世界大戦時の日本政府や、日本軍を客観視するような番組も報道されます。しかしそういった番組は期間が限定です。できるならあまり日本が関与してきた苦い過去とは向き合いたくない、なるべく辛い過去は風化させたい、そんな風潮は無きにしもあらずだと感じます。

辛い過去や失敗、屈辱や後悔といったネガティヴな感情と向き合うことは、人としてのメンタリティのレイヤーを増やす、つまり成熟するためには必要不可欠なことです。

そう捉えると、日本はもしかすると、国民が成熟した意識を持たないことが推奨される国なのではないか、国民が余計なことを考えたり気付いたりしないような操作が、メディアレベルで行われている気配をどうしても感じてしまうのです。もしくは、戦国時代の宣教師ヴァリニャーノからペリーの来航とともに日本へやってきた、多くの外国人がかつて覚えた印象通り、無邪気で天真爛漫で、時々背伸びを楽しみたいだけの国なのかもしれません。

とすると我々国民は、明治維新以降世界的な先進国の基準に合わせようとやりくりしてきたこの国を、時々でも俯瞰で、自分たちの生きる国には本質的にどういう特徴があり、どんな歴史をたどってきたのか、宗教的拘束はない代わりに世間体の戒律がここまで浸透している社会にとって、パンデミックの危機感にはどんな対策が本当は向いているのか、しっかりと振り返ったほうがいいのではないでしょうか。過去の失敗も欠点も反省点も踏まえたうえで、文化人類学的な視点も借りながら客観的に見直す目を、もっと養うべき時がきたと私は感じています。