考えることを面倒くさがってはいけない

こうして思いがけなく家で過ごす時間が増え、普段ならたいして気にも留めない周辺を見回すようになると、そこには、社会や政府などに感じた「もやもや」を解明するヒントが転がっていたし、突然の対策を強いられた結果、見なくてもよかったものにまで意識が向くようになりました。

たとえば「アベノマスク」から「Go to トラベル」まで、そこに費やされた費用など道理はわかっても、なんだか納得のいかない政策や提案だと感じた人たちはかなりいるのではないでしょうか。延期を経て今年開催が予定されているオリンピックにしても、この運動の祭典の本質的な意味はどこにあるのか、どうしてウイルスの猛威に人々が倒れていく中で実施に執着する人たちがいるのか、または実施して欲しいと考える人がいるのか、そんなこともできれば自分の頭で考えてみるべきなのです。

考えるのは面倒かもしれない。でも、その納得のいかなさの要因を、ネットやテレビやSNSで誰かが発信している言葉からではなく、自分の考えのなかから見つけるべきなのです。

そもそも人間は胃袋だけ満たしていけばいいという生き物ではありません、メンタルを思考や考察で常に鍛えていなければたちまち愚鈍化し、今以上に地球上で危険な野蛮生物になってしまう可能性だってあるのです。

自分の頭で考える。それ次第でパンデミック最中、そしてパンデミック後の私たちの生き方、社会の変化の質は少なからず変化していくように私は思うのです。