八塔寺ふるさと村の石仏(写真提供:末井さん)
編集者で作家、そしてサックスプレイヤー、複数の顔を持つ末井昭さんが、72歳の今、コロナ禍中で「死」について考える連載「100歳まで生きてどうするんですか?」。母、義母、父の死にざまを追った「母親は30歳、父親は71歳でろくでもない死に方をした」が話題になりました。第5回は、父親の死から10年後、「墓なんていらない」という末井さんの心境に変化が訪れます。

第4回●「母親は30歳、父親は71歳でろくでもない死に方をした」

墓なんか自然消滅すればいい

これは前にも書きましたが、ぼくは墓なんかいらない、自分の骨は海にでも撒いてほしいと思っていました。自分の墓に興味がないのだから、自分の親の墓にも興味がありません。

末井家の墓地は、ぼくが生まれた岡山県の山奥の村にあり、母親の墓もそこにあります。集落4軒の墓地もその辺りに集まっていて(苗字はみんな末井)、それぞれ立派な墓石が立っています。ぼくの家の墓地には先祖代々の墓があるのですが、石ころを積み上げただけの墓もあって、見栄えはかなり貧相です。代々貧しい家だったからです。

母親の墓は一番端にあり、父親が河原で拾った赤ん坊の頭ぐらいの石を置いただけの墓でした。放って置くと草木に覆われてしまい、墓なのかただの石ころなのかわからなくなります。そうやって墓地が自然の中に溶け込んでいけばいいと、村から出て行くぼくは思っていましたが、家がなくなってからは、町に住んでいる親戚が、年に2、3回来て草むしりをしてくれているようでした。

父親の墓はそこにはありません。父親は末井家に婿養子で来たので、戸籍を元に戻さないと軍人恩給がもらえない。それで、末井家から籍を抜き、赤田という旧姓に変わっていました。そのため、父親が死んだら赤田家の墓地に入ることになっていたのです。

赤田家の墓地は、ぼくが生まれた村から車で30分ほど行った所にありますが、家自体はすでに無くなっています。墓地は山の斜面の竹林の中にあって、薄暗くて気味の悪い所です。こんなところに墓地を作ったのは、よほど貧しい家だったのだろうと思いました。

義母の遺骨も、父親も遺骨も、その墓地に埋めたのですが、墓石は両方とも拾ってきた石ころを置いただけでした。父母の墓は、長男であるぼくが建立しないといけないと思うものの、墓なんか自然消滅すればいいと思っていたので、そのうち墓のことも忘れてしまい、父親が亡くなってから10年が過ぎました。

その間、一度も墓参りをしたことがなかったのですが、離婚して今の妻の美子ちゃんと暮らすようになってから、ちょくちょくぼくが生まれた村へ、墓参りを兼ねて旅行するようになったのでした。