「このままだと、『ああ、何もできなかった』って言いながらおばあちゃんになって悔やみながら死んでいく未来しかない。そう思ったら、ものすごく怖くなってしまって。それでもう一度、小説を書こうと決めたんです。」

氷室さんの悲報にショックを受けて

そう思っていたにもかかわらず、まっすぐ作家への道は歩まなかった。高校生の頃は、小説らしきものをノートに書き散らしたり、演劇部に所属している友達に頼まれ、お芝居の台本を書いたりはしていたんです。

でも、母が「女は手に職をつけなきゃダメだ」と。専業主婦だった母は姑と折り合いが悪く、離婚を考えたこともあったのかもしれません。でも、経済力がないので家からは出られない。娘の私には「手に職さえあれば、自立できるから、看護師か理美容師になれ」と。とはいえ血を見るのが苦手で、看護師になるのは絶対に無理。それで、おしゃれにもあまり興味がなかったので、美容師ではなく、「職人ぽくていいな」と思った理容の専門学校に進学したんです。

ところが、手先が不器用な私に理容師は向いていなかった。ハサミを動かすと自分の手を切っちゃって(笑)。なんとか卒業しなきゃと練習に追われる毎日で、小説を書く余裕もまったくなくなってしまいました。卒業後、理髪店に就職しても、性に合わずにすぐにやめて、その後は職業を転々と。

そのうち20代も半ばを過ぎたので結婚。うちの実家は厳しくて、女の子は結婚しないと家から出さないと言われていたので、早く家を出たい一心だったんですよ。で、すぐに長女が生まれて育児や家事に追われているうちに、小説を書くことからすっかり遠ざかっていたのです。

そんなとき、心の支えだった氷室冴子さんが病気で亡くなったということを知りました。ショックでしたね。私、作家になって氷室さんに会いたかったんだと思い出したときに、自分が本当に嫌になったんですよ。何の目標もなく、ただ毎日をなんとなくこなしている、本当にそれでいいのだろうか? このままだと、「ああ、何もできなかった」って言いながらおばあちゃんになって悔やみながら死んでいく未来しかない。そう思ったら、ものすごく怖くなってしまって。それでもう一度、小説を書こうと決めたんです。私が28歳のときでした。