本連載をまとめた『ショローの女』伊藤比呂美 中央公論新社(6月22日発売)

ダウンのコートを一着持っている。十数年前にカリフォルニアで買ったやつだ。ベイエリアは風が強くて寒いのでときどき着たが、あたしの住んでいた南カリフォルニアでは必要なかった。ベルリンやオスロの冬には持っていったけど、カリフォルニア仕様だからやっぱり薄くて、中に厚手のセーターを数枚重ね着して本場の寒さをしのいだ。ダウンはなんとなく密閉感があって、便利だけど好きじゃない。それを今年は熊本でも数回着た。十数年物だから、だいぶ古びてきた。

誰にも会わない深夜の散歩には、ダウンは着ないで母のコートを着た。

母のことだから安物に違いない。でも暖かくて軽くて柔らかくて着心地が良かった。包まれているようだった。着始めた最初のうちは母のニオイがした。体臭みたいな香水みたいな。しだいに消えて、もうあたしのニオイしかしないと思う。母はあたしより背が高くて太っていたから身頃はたっぷりしていて、腰まで隠れて、下にいくらでも重ね着ができた。母も気に入っていたらしく、同じ形のコートが2着ある。それでほんとうに寒い夜には、コートも2着、重ねて着たもんだ。

母がこれを買ったのはいつ頃だろう。80ちょっとで寝たきりになったから、70代後半だったと思う。65のあたしと世代的にはそんなに違わない。でもそのコートは、母に対する偏見とか先入観とかだけでなく、えんじ色と灰色がまじったような巣鴨的な色合いで、丸めでフェミニンな割烹着型で、どこかがおそろしくババ臭い。だから人前では着たくない。とか言いながら、近所のスーパーには何度もそれで出かけてしまった。そしてふと何かに映る自分の姿を見て、いくらコロナといったってこれではと考えて、冬の終わりになってようやく某ブランドのオンラインの4割引き、2着買ったらさらに2割引きみたいなセールで、コートを(そしてセーターも)買ってみた。好みのコートなのに、深夜の散歩にはやっぱり母のコートを着る。

コートやセーターや灯油ストーブや猫という暖かいものに包まれて、快適快適と思いつつ、もしかしたらこれは更年期の次の段階、ポスト更年期といいますか、真の初老期に突入して、世間の高齢者がほとんどそうであるように、ただの寒がりになっただけなのかもしれないとも思っている。