自分に必要な時に、幽霊は現れる
霊は存在するか否かというような問題ではなく、亡くなった人がどうしても自分に必要な時に、幽霊は現れるということです。というか、呼び出してしまうのでしょう。そう考えると、日本中いたる所に、死者と共に暮らしている人がいるのではないかと思うのです。一人暮らしの老人でも、死者と暮らしていれば寂しくないですから。
ぼくは、幽霊を必要としているわけではないのですが、ダイナマイト心中で死んだ母親のことをよく思い出しています。忘れられないシーンは、夜中に目が覚めた時、ぼくが寝ている足元に母親が立っていて、じっとぼくを見つめていたことです。
母親は父親と大喧嘩して、家を飛び出したまま帰って来なくなり、その8日後に近所の若い男と心中した死体が山のなかで発見されました。母親がぼくの足元に立ったのは、母親が家を飛び出してから、死体が発見される間のことでした。それが幽霊だったのか、死ぬ前に一目子どもを見ておこうと思って来たのか、あるいはぼくの幻覚だったのかわからないのですが、その時、親と子の心の通じ合いが確かにあったと思っています。その記憶があることで母親を恨まないですんだし、母親がいつも一緒にいるという感覚があるのです。
振り返ってみれば、母親が爆発したおかげで村に縛り付けられなくてすんだし、母親の爆発を売り物にして世の中に出ることが出来たし、母親には死んでからもいろいろお世話になっているのです。だから、死者と共に生きるというのは、ぼく自身のことでもあります。
奥野修司さんは、本のなかで「夏の旅」という章の最後にこう書いています。
――彼らが不思議な体験をするのは、亡くなったあの人を忘れたくないからであり、同時にそれが、死者の願いでもあることを知っているからだ。生者が死者を記憶に刻み続けることで、死者は生き続ける。僕は、その記憶を刻む器なのだ。
※次回配信は5月27日(木)の予定です