甲斐さんのスケッチ画(『あしなが蜂と暮らした夏』より)

自然にあるのは摂理だけ

私は昭和一桁生まれですけれど、戦前の日本人には伝統的な美意識がありましたね。私が生まれた時、家は苦しい経済状況だったようです。でも両親は子どもの前でお金の話なんてひと言も言わなかったし、子どもたちにも口にさせなかった。

それは極端にいえば、金銭というものは人を卑しくさせるという価値観からだと思います。両親に限らず、昔の人はみんなそう思っていたんじゃないでしょうか。

でも今はお金の価値観も美意識も変わってしまった。今はお金があると便利だし、楽ができる。家も建ちます。その文化のために、一所懸命に心を売っていると、私は思うんです。どんなものも、育つには餌がいるじゃない? 草は肥やしを土からもらっているし、人間は親から食べ物を与えられる。ではお金の肥やしはというと、人の心だなあと思って。人間の心を喰うことによってお金が太る。

だから私はずっと、お金に心を喰われたくないと思ってきました。それはお金との縁が薄いということを意味し、現代においてはかなり不便なことです。今の価値観は貧しさというものを非常に低く見ますから。お金の面ではけっこう大変ですけど、致し方ないです。

利害を捨てる訓練というのは、草たちが教えてくれます。人間の場合は利害で支え合う「生活」があるけど、連中は死ぬも生き残るも、自然の摂理に従った結果です。

連中が滅びるのを見る時、私は畏怖を感じます。これから成長期という植物であっても、土砂降りに遭えば死んでいく。素直に死んでいきますよ。それを見事だと私は感じますけど、相手はそんなこと思っていません。生まれた場所で自然に生きて、少しでも丈夫な遺伝子を種族のために残し、そしてまた生まれてくる。法則に無理がないんです。自然にあるのは摂理だけ。生きるってこういうことだなと思います。

人間は摂理に従っていては生きていけない、特殊な生き物ですね。どのくらいその歴史が続くだろう。私にはそんなに長く続かないんじゃないかという気持ちがどこかにあります。たった数十年ですが、自然と付き合い続けていると、人間ってどれほどのものだろうと思うのです。