まだらなものとして相手全体を捉える

自分を大切にすることを学び、本音を言えるようになって「人って、案外優しいんだな」という安心感が育ってくると、よくわからないものや曖昧なものをそのままの形で抱えられるようになります。

相手のイヤなところがみえたとき、不安にかられるのではなく「様子をみてみよう」「そういうときもあるよね」と落ち着いて考えられるようになるのです。

いい人・悪い人とカテゴライズせず、牛のようにまだらなものとして、相手全体をみる。

慣れないうちは大変だけど、意識するうちに、私も少しずつできるようになっていきました。

 

いい人・悪い人とカテゴライズせず、相手全体をみる(写真提供:写真AC)

 

特に変化したのは、人間への見方がまろやかに、長期視点になったことです。

私は相手を「いい人だなぁ」と思って、あとからしんどくなることがあったのですね。「いい人」というフィルターをかけてみてしまうから、理不尽なことをされてもとっさに気づけないし、適切に怒ることができなくて。

でも、「まだら」として相手をとらえるようになってからは、初対面の相手が丁寧に接してくれたとき、「いい人だ!」と感激して相手を信じてしまうのではなく、少し心の距離をおいて「丁寧に接してくれてありがたいな」と、その行為を単体で受けとるようになりました。

相手を理想化しすぎない、ほどよい距離感を保ちやすくなったのです。