こども食堂の広がりが意味するもの

そしてこのような広くて大きい問いをもつ場が、「ごくふつう」の地域の人々の手で、ごく短期間に、全国津々浦々に広がっているという事実も、私にとってはきわめて重要だった。

誰も排除しない、みんなを包み込む社会づくりに長く取り組んできたが、順風満帆とはとうてい言えない道のりだった。より多くの人たちが自分ごととして関わってくれる活動を模索して四苦八苦してきたが、自分ではなかなか思いつけなかった。こども食堂はそんな私の「限界」をやすやすと超えていった。

こども食堂という器を手にした人々は、そこに続々と地域と社会に対する自分の気持ちを盛っていった。続々と盛られたということは、その気持ちをもつ人たちが世の中に大勢いたということだ。それは深いところで私を勇気づけ、感動させた。

「世の中、捨てたもんじゃない」という言い方があるが、こども食堂の人たちと過ごす時間は、私にとってその希望を確かめ、その希望を膨らませる時間になっている。その意味では、私もこども食堂に救われている一人だ。

近刊では、その私の想いをベースに、こども食堂のもっとも良質な部分を描き出すよう努力した。うまくいって読者のみなさんの共感を得られたとしたら、それはこども食堂の功績、うまくいかなかったとしたら、それは私の責任である。

いずれにしろ私は、こども食堂のもっとも良質な部分が、こども食堂という場から染み出すようにして日本の地域と社会にビルトインされるよう、活動していく。本の刊行も、そうした活動の一環である。

 

※本稿はつながり続ける こども食堂(中央公論新社)の一部を「婦人公論.jp」編集部が再編集したものです。


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