トイレで死闘――「老いるショック」の教訓

あれは70代半ば頃だったでしょうか。いつものようにあわただしく講演に出かけた際、京都駅0番ホーム近くのトイレに入りました。勝手知ったる京都駅。そこにトイレがあるのは熟知しています(当時のことです)。

入ったトイレは和式でしたが、当時の私は、トイレが何式だろうが気にしていませんでした。用を足して、水を流して一件落着。スッキリした気分で立ち上がろうとしたら――なんと、た、立てない! 立ち上がれないのです!

一瞬、そんなバカなと思いましたよ。でも次の瞬間、冷や汗がたら~り。スッキリ気分はどこかに行ってしまいました。壁には手すりもないし、じめじめした床に素手をつく勇気はありません。膝の角度を変えたらなんとかなるかと思っても、狭くて身動きできず、気持ちは焦るばかり。パニックになりかけて、呼吸も浅くなります。

で、どうしたかというと――。じめっとした床にトイレットペーパーを敷いて、床に両手をついて、なんとかガバッと立ち上がりました。時間にして、ゆうに10分はかかったでしょうか。思い出すのも悲しい「死闘」でした。トイレットペーパーのムダづかいをして、なんとも申し訳ありません!

老いとは、こんなふうに人に不意うちを食らわせるものなのかと、おおいにショックを受けました。昨日できたことが、ある日突然できなくなる。それが、「老いる」ということなのですね。まさに「老いるショック」。

そうやって少しずつ、できないことが増えていく。老いの現実を実感したという意味では、思い出したくはありませんが、私にとってその日は「トイレ記念日」でした。

「この足がダメね」とわたしが知ったから 7月6日はトイレ記念日

――なんて、有名な短歌のパロディの一つも口をついて出てきそうです。