夕陽で輝く鱗雲をバックに(写真提供◎青木さん)
青木さやかさんの連載「48歳、おんな、今日のところは『……』として」――。青木さんが、48歳の今だからこそ綴れるエッセイは、母との関係についてふれた「大嫌いだった母が遺した、手紙の中身」、初めてがんに罹患していたことを明かしたエッセイ「突然のがん告知。1人で受け止めた私が、入院前に片づけた6つのこと」が話題になりました。今回は、「がん手術からの回復と父の死」について、赤裸々に語ります。

前回●立ち合い人なしで臨んだがん手術。母にも、娘にも、言えなかった理由

熱でパジャマを何枚も着替えた

初期の肺腺がんの手術は4時間ほどで終わったようで、気づくとICUにいた。

「終わりましたよ、安心してくださいね」

と、主治医の似鳥先生に声をかけていただいて、ああ本当に手術したのだな、と思った。
身体はまったく動かなかったし、声も出せる感じではなかったが、目で看護師さんの動きを追ってみたりする余裕はあり、「あら全然元気だわ!」と自分でも驚いた。

ところが時間が経つにつれ、痛みと吐き気が酷くなってきた。麻酔が合わなかったのかもしれない(その後別の麻酔をする機会があったが、その時は吐き気がなかった)。
吐きたいが、息を深く吸ったり咳き込みそうになったりすると、ヒー!というほど肺なのか縫ったところかわからないが痛くて、助けて〜となった。

とにかく痛みよりも吐き気が強烈で、ICUを出て病室に戻っても吐き気は収まらず、熱による汗で、何度もパジャマを着替えた。

そのパジャマは病院から1枚いくらで借りていたから、途中まで、「今のところ何円までいきましたね、ふむふむ」と要らぬ計算をしていたが、そのうちそれもできないほどキツくなった。吐きそうだが胃にはなにもなく、吐こうとするたびに肺のあたりがヒーと痛み、疲れ果てた。