「どうして一生懸命やってきたことがストレスになるのか、やめてもなお、と悲しかったですね。」

円形脱毛症になり、マジックで地肌を塗りつぶして

バレーボールをやりたいと思って始めたのは私です。でも25歳で引退する時、バレーが大嫌いになっていた。監督に怒鳴られたり叩かれたりするのが当たり前だった時代、怒られたくない一心で頑張っていました。本来、自分で考え工夫することが必要なのに、言われた通りのプレーしかせず、それも思うように決まらない。いつも監督の機嫌をうかがい、失敗するのが怖くて「私にトスを上げないで」と本気で願っていたのです。

当時は円形脱毛症になり、マジックで地肌を塗りつぶして隠していました。流れる汗が黒くなるから、バレないよう練習着は白から黒に替えて。お腹も毎日下していました。

ずっとバレーをやめたくて、ようやく迎えた引退の日の夜は本当に嬉しくて。心底安堵したのか、驚くほどぐっすり眠ったことを覚えています。翌日には、下痢もウソのように止まりました。

でも引退後の仕事は、当たり前ですが、バレーボールに関係するものが多かった。試合の解説者、レポーター、ほかにも元バレーボール選手としてバラエティ番組に出していただいたり。そのころひどくなっていったのが片頭痛です。

前兆で光が見えたと思ったら、激しい頭痛と吐き気で動けなくなる。この症状が、バレーにかかわる仕事が入るたびに出てしまいました。生放送中にバタッと倒れてしまったこともあります。どうして一生懸命やってきたことがストレスになるのか、やめてもなお、と悲しかったですね。

旅番組のロケでは、自分が美しい花を見ても心が動かないことに気づかされました。現役時代は勝った負けたで一喜一憂していたら心がもたないので、感情が動かないようにコントロールしていたのです。

それを引退後も引きずっていて、ディレクターに「益子さん、この花に触れてください」と言われて初めて、ああ、花が咲いていたのね、と気づく始末でした。