亡くなって1年が経ちますが、不思議なことに、生きているときより亡くなってからのほうが母ちゃんを思い出す時間が増えました。お骨は分骨して自宅に置き、「今日はこんな仕事をしたよ」「最近、こんなことをはじめたよ」と、毎日のように会話をしているんです。
僕はいま、芸人の傍ら「遺書を動画で残す」サービスをプロデュースする仕事をしています。遺書とは、財産分与のあれこれといった法的根拠を伴う遺言書と違って、いわゆる家族に残すメッセージのようなもの、と考えてください。
遺書を一度でも書いてみたことがある方ならわかると思いますが、いざ書こうと思うと難しい。死を考えることは、自分にとって生きることとはなにか、大切にしてきたことはなにか、どんな人生を歩んできたか、に向き合う作業でもあるからです。
それに人の気持ちは年齢や環境によって変わっていくので、適宜更新することも大事。動画なら双方にとって残しやすく、受け取りやすいのでは、と思ってはじめたのが、「ITAKOTO」というサービスです。
もともと延命治療について20歳から聞かされていたくらいなので、田村家において「死」の話はタブーではありませんでした。運営にあたって、死についてもっと学びを深めたくて大学院にも入りましたが、実体験に勝るものはない、というか、母ちゃんの終活から受けた影響は大きかったですね。
なにしろ、母ちゃんに「ITAKOTO」の話をしたら快く動画を送ってくれたんですが、なんとフラフープを永遠に回し続けている動画でした(笑)。本当に遺書の形なんて人それぞれでいいんだな、と教えられた思いです。
誰だって、あの世に旅立つときの心残りはできるだけ少ないほうがいい。母ちゃんの見事な最期を胸に刻んで、僕も自分自身の人生を悔いのないように生きていきたいと思っています。