「母ちゃんは終活ノートをつくっていて、その死までが周到に準備されていました。」

がんはほかの臓器や骨にも転移していたため、2週間後に母ちゃんは大腿骨を骨折。入院することになったのです。父ちゃんは毎日病院に行き、僕たち兄弟もできる限り病院に足を運びました。母ちゃんの最後の望みは、8月10日の72歳の誕生日を自宅で祝い、6月に生まれたばかりの僕の次女を抱っこすること。「痛い」「つらい」と言うと退院の許可がおりないので、1ヵ月の間、なんとか痛みに耐えたのだと思います。

誕生日当日、僕は妻と2人の娘を連れて、実家に帰りました。「かわいいねぇ」と次女を抱いていた姿はいまでも忘れられません。

覚悟はしていたけれど、これが母ちゃんとの最後の別れになりました。僕たちが帰ったら病院に戻って、痛み止めのモルヒネを打ってもらう。そうしたらもう意識がなくなる。部屋で2人きりになり、「だから、話ができるのは今日が最後だよ」と言われたんです。

いろいろな話をしたけれど、やっぱり実家をあとにするときが一番つらかったですね。タクシーに乗り込んだものの、妻に促されてもう一度家に戻り、母ちゃんを抱きしめました。病院に戻った母ちゃんが息を引き取ったのは、それから約1週間後のことでした。

 

鼻がムズムズするから、お棺に花は入れないで

母ちゃんは終活ノートをつくっていて、その死までが周到に準備されていました。延命治療に関する希望はすでにお話ししたとおりですが、「輸血、人工透析、気管切開、胃ろうなど含め、延命のための治療はしないでください。もし私が苦痛を感じているなら、モルヒネなどの痛みをやわらげるケアは、有難くお受けします」という文体が、母ちゃんらしくていいな、と思いましたね。

葬儀は斎場の見積もりをとり、申し込みまでしていたのです。遺影はもちろん、棺はエコ棺、告別式の仕出し弁当のランクは竹……まで決めていたところを見ると、下見をしていたのだと思います。父ちゃんがひとりで葬儀の手配をできっこないこと、家族が葬儀でどれほどバタバタするかもちゃんとわかっていたんですね。