ひたすら話に耳を傾ける
家族療法による治療は、Sさん自身ではなく、母親と姉が、ある家族会(家族だけが集まる形式)に参加し、セラピストのアドバイスを受けるところからスタートしました。
Sさんが何度も自殺を図ったのはなぜでしょうか?
「誰も僕の本当の気持ちや苦しみをわかってくれようとはしない。僕が死ねば、少しは僕の死後に何かをわかってくれるかもしれない」
これは後になって、Sさん本人が話したことです。
Sさんは、この年になるまで、自分の本心を両親に打ち明けたことがありませんでした。正確には、幼少期にそれが叶わないと諦めてしまったと言えます。言いたいことは心の底にため込まれてきて、その処理ができなかった苦悩の蓄積が、究極的には自殺未遂という極端な形になって表れたのです。
セラピストは母親と姉に、「とにもかくにも、まずはSさんの言いたいことや気持ちのすべてに、丁寧に耳を傾けて聴いていただけませんか?」と提案しました。大切なSさんを失いかけた母親と姉は、「Sの話すことは、何でも聴くようにします」と答えました。助言されたことを忠実に実践すべく、二人はSさんの話に耳を傾けることを開始し、続けました。
母親にすれば、それまでそんなことをしたことがなかったので、どうしてよいか戸惑い、ときには苦痛も伴ったはずです。でも子どもは、親が自分の話に耳を傾けてくれることで親の「愛情」を感じるのです。
一方、父親は当初、セラピーに加わるのを大の男のやることではないと嫌がっていました。しかし、妻から家族療法やSさんへの接し方に関するアドバイスを聞くうちに、頑なだった態度が少しずつ変化していったのでした。
以前はSさんの言うことに全く耳を貸そうとしなかったのが、息子を死なせかけたことがよほど心に響いたのか、妻や娘と同じように、Sさんの話に耳を傾けるようになっていったのです。