「橋田文化財団のことを頼むね」
具合が悪くなられてからは、病院に行く時は同行しましたし、入院後も、お医者様の話を伺うのは私の役目。東京の病院にしばらく入院していましたが、伊豆の家に帰りたいというので、転院の手配もしました。
亡くなる数日前に、お電話をくださって。相当具合が悪いはずなのに、1時間くらい話しました。そして、「橋田文化財団のことを頼むね」と言うのです。「今までもずっとやっているじゃない」と答えたら、「ちゃんとやるってハッキリ言って」って(笑)。「私はね、あなたより1歳上のお姉さんなんだから。あなたは妹なのよ。だから素直に『はい』と言えッ!」と橋田さんに言われ、「はい、わかりました、お姉さん! これでいいですか?」――。
最後の最後まで、そんなやりとりをする仲でした。喧嘩できる相手がいなくなって、本当に寂しいです。
振り返ってみると、自分からはあまり人の私生活に踏み込まないつもりでいますが、仕事関係の方も、何か困ったことがあると私に言ってくる。「相談所」みたいなところもありますが、別にそれがイヤではないし、「私でお役に立てるのなら」と思っています。東京の下町育ちなので、江戸っ子流の「世話焼き」の面があるのかもしれません。そういう習慣というか性格は、プロデューサーという仕事に向いていると思います。
私の養父の伊志井寛(いしい・かん)は、新派の名優でした。父は私がこの世界で仕事をするようになった時、こう言ってくれたのです。「人から世話になったことは一生忘れるな。人のために何かしてあげたことは、その場で忘れろ」と。
私にとって人間関係は、人生の大きな財産。父の言葉をしっかりと胸に刻んだおかげで、豊かな財産をいただけたのかなと、今になって思います。