編集者で作家、そしてサックスプレイヤー、複数の顔を持つ末井昭さんが、72歳の今、コロナ禍中で「死」について考える連載「100歳まで生きてどうするんですか?」。母、義母、父の死にざまを追った「母親は30歳、父親は71歳でろくでもない死に方をした」が話題になりました。最終回の第20回は、「100歳まで生きてどうするんですか?」です。
自分にとっては大変な変化
「100歳まで生きてどうするんですか?」は、この連載のタイトルになっている問いかけですが、そう訊かれてすんなり答えられる人はいないと思います。「どうするんですか?」と言われても、「何をするんですか?」と訊かれているのか、「100歳まで生きたってどうしようもないでしょ」という意味なのかわかりませんよね。
このタイトルを考えたのは1年ほど前で、その頃は「100歳まで生きてどうするんだよ」という否定的な気持ちがあったことは確かです。
コロナ禍の先が見えなかったことも影響していますが、地球温暖化問題、食料問題、格差問題、差別問題、分断問題、どれ1つ取っても未来が明るいとは思えませんでした。日本国内のことを考えても、膨らんでいく財政赤字、増えていく医療費や年金のこともあって、老人にそんなに長生きしてもらっては困るというような風潮があったと思います。それに、病院で寝たきりで生かされる不安もあるので、なんとか平均寿命ぐらいまで健康で生きられたらそれで充分と思っていました。
それに、生きているうちにやり遂げないといけないことがある人は別として、意味もなく何がなんでも長生きしたいと思うことは、なんだか欲張りのような気がしていたのです。「100歳まで生きてどうするんですか?」は、そういう気持ちを込めた問いかけでした。
しかし今のぼくなら、誰かに「100歳まで生きてどうするんですか?」と訊かれたら、「100歳まで生きられるんだったら生きてみたい」と答えると思います。ちょっと消極的ではありますが、100歳まで生きてみたいと思うようになったのです。それだけでも、自分にとっては大変な変化です。