「普通になれば、普通のことが転がり込む」という期待
こういう考え方をする人は、ときどき見受けられます。
自分の「苦手なこと」がコンプレックスになっていつまでも執着し、自分を過小評価しているので、「普通(以上)」になりたくて仕方ありません。
自分が「普通(以上)」になれば、恋人や適職といった「普通のこと」は、向こうから転がり込んでくると期待しているので、欠点の克服ばかりに目が向くのです。
けれども、「普通(以上)になりたい」という漠然とした望みをもっていると、自分のことをマイノリティ(少数派)だと思っている人は苦しくなります。本来なら、マイノリティこそ、自分が好きなこと、得意なこと、やりたいことに注力したほうが周りに認められやすくなるのに、無理に周りに合わせようとするからです。
自分と他人は違うということを客観的に認められないのは、自分のことがよくわかっていないからです。このことを「自己認識が弱い」と言います。
たとえば、私は高校生のころ、教室で仲間たちとワイワイ賑やかにすごして、女の子たちとも気軽に付き合える同級生がうらやましいと思ったことがあります。当時は、あれが高校生の「あるべき姿」のように思えていたのです。
しかし、自分は彼らとはもっている要素が大分違うと分析し、早々に目指すのはやめました。自分にはあれがない、これがないといっていたらキリがないし、私が憧れていたのは、結局のところ彼の「立ち位置」だったからです。
彼のマネをして同じような仲間ができたとしても、当時の私の不器用さでは勉強と付き合いを両立させるのは難しかったと思います。