和解の日には5人の孫とひ孫も駆けつけた(写真提供:亜紀さん)

あの世に行ったら友子と住みたい

友子 あの瞬間にいろいろな思いがすべて溶けてなくなったわ。結婚生活で苦しかったこと、離婚の時のいざこざ、娘と引き離された日々……。彼に対して許せない、という気持ちを抱いていたこともあります。でも、あの言葉で、やっぱり私はパパが好きだ、と気づいたの。それからは週に2回は会いに行った。

亜紀 アイスクリームを食べさせてもらったりして、ママに甘えていたね。

友子 二人でテレビを見ながら話をしていると、35年のブランクが、逆に信じられないぐらいだったわ。それにしても、亜紀の一家は本当によくパパを看てくれたわね。

亜紀 昼間は訪問看護師さんが来てくれたし、子どもも孫もパパを「どんちゃん」と呼んで大好きだったからね。

友子 ヘルパーの仕事をしている孫娘に下の世話までしてもらったんだから、パパは幸せ者よね。

亜紀 全員ができることはなんでもしたから、そういう意味では悔いはないと言い切れます! 私は、家族一丸となってなんでも乗り切ることを教えてくれたのは、パパとママだと思ってるんだ。ママは昔、パパがお風呂に入っている時に、先に覚えておいたパパの新曲を歌って聞かせていたでしょう? 歌詞を覚えられるようにって。そんな姿を見ていたから、パパの介護も家族で協力できたんだと思う。

友子 そう言ってもらえるのは、うれしいわ。

亜紀 パパは晩年に親しい住職さんに戒名をいただいてたんだけど、その住職さんにだけは「あの世に行ったら友子と住みたい」って言ってたらしいよ。

友子 そうみたいね。なんだかうれしい。その住職さんは私にも戒名をつけてくれていたの。パパと同じく「歌」という文字が入っている、とってもいい戒名なの。

亜紀 やっぱりパパはママが一番だったんだね。ママが捨てずにとっておいた結婚指輪を、細くなった指にいつもはめていたし……。

友子 不器用な生き方しかできないパパだったけど、どこまでもかっこいい人だった。特に歌っている姿は。ベッドの上でも「テネシーワルツ」を歌っていたわね。

亜紀 私はパパとママの「ヘイ・ポーラ」、また聴きたかったな。

友子 私の今の夢は、美紀と亜紀と私で喜寿の記念ディナーショーをやることなの。そこで3人で「遠くへ行きたい」を歌いたい。そんな話をパパにしたら、「絶対に見に行くよ」って言ってくれた。

亜紀 ママ、必ず実行しよう。きっとパパも天国で喜んでくれるよ。