お互いの得意分野でバランスをとる
清水 35年前、新人だった私にネタをやる場を提供してくださったのが永六輔さんなんですけど、「さだまさしさんのトークが素晴らしいから、勉強に行っておいで」って言われたことがありました。
さだ 永さんねぇ。島原に、宮崎康平っていう郷土史家で詩人がいたんです。親父の友人でもある彼のことを面白がって、永さんはよく島原にきていて。僕、小学生のころ永さんに会ってるんですよ。
鶴瓶 永さんはいくつくらい?
さだ 30代だと思う。そのあと、僕がバイオリンをやめたことを知った宮崎康平が、「あれだけ弾ける子が、ギター担いで歌ってるなんて」と怒ってるっていうんで、親父と吉田(政美)と3人で会いに行ったんですよ。目の前で歌ったら急にニヤニヤしだして、親父に「佐田さん、これは面白かけん、少しさせてみましょう」って。長崎放送やら長崎新聞やら紹介してくれて、コンサートもやらせてくれて、デビューにつながりました。
清水 さださんの恩人なんですね。
さだ デビューの報告に行ったら、「永六輔に会いに行くように」と言うので、永さんにご挨拶に伺ったんです。そしたら、宮崎康平が僕をどう紹介したのか知らないけれど、「落語家になりたい青年」ってことになってた。(笑)
清水 ちょっと違う。(笑)
さだ 「今度いい師匠を紹介してあげるね」って言われて、なんで僕に、と思ったよ。(笑)