弱者から見える景色は伝わっていない

副編集長の話には続きがある。
「メディアは、強者が多いんだよ。有名大学を出て、留学までセット。
取材をする人に当事者性がない。だから、当事者の言葉が必要なの」

その言葉の意味を噛みしめるのは、実際にライターになって発信しはじめてからのこと。

世の中は思ったよりネイティブ強者が発言権や決定権を持っていて、弱者の存在は徹底的に不可視化されている。
コロナ禍にあって、それをより強く実感している。

弱者から見える景色は、思った以上に伝わっていない。
その危機感から、「前提とされない痛み」「ないものにされる痛み」をテーマに取材、執筆を続けている。

前提とされない、とはどういうことか。
私の父は精神障害者で定職につけず、おまけに体が弱くてしょっちゅう入院する。中国地方で暮らす両親と姉、私という4人家族である我が家の世帯年収は、一時100万円代だったこともある。

世間では年収600万円でも子どもが大学に行けば貧困に陥る、なんて話題になっているのに、だ。

中国地方にある実家から近い田んぼ(写真提供◎ヒオカさん)

制服が買えない、家に勉強机やエアコンもなく、学習環境がない。
想定されないレベルの貧困には、支援の手も届かない。

振り返れば、貧困と共に生きた26年だった。常に明日の見えない不安や、足下が見えない心許なさを感じて生きてきた。
次回は、そんな幼い頃の貧困体験を書こうと思う。