「先生のことを知らなかった」から採用され
寂聴先生に初めて出会ってから10年が経った。10年……。0歳だった赤ちゃんが10歳に成長する長い年月だと、私は息子が生まれてからこういう見方をするようになった。
そのとき先生はすでに88歳、私は23歳。周りはどう見ていたのだろう、こんなに長く働けるなんて誰も思いはしなかったに違いない。だって、私もそうだから。
先生のことを尼さんとしか知らなかった大学生の私は、就職活動で大きく躓(つまず)いていた。そんなとき友人から紹介された就職先が、先生のところだった。先生は京都の嵯峨野に庵を結んでいて、そこは自宅兼事務所にもなっている。私は先生の出版関係の事務をするために、先生の事務所に就職することになった。
面接の日は母に途中までついてきてもらい、寂庵の門前で別れた。京都の嵐山をもっと北へ上がると、風情漂う、昔ながらの家が建ち並ぶ静かな嵯峨野に、寂庵は建っていた。
客間に案内され、先生と初めて会った私はきっと緊張していたのだと思う。瀬戸内寂聴なんて、私には縁もゆかりもない人だったから。
でも就職先が見つからず、不安な日々を送っていた私は、この話をもらったとき、希望の光だと思ったし、具体的に何をするのか知らなくとも、私でも名前を知っているような有名な人のところで働くことに強い好奇心と、これを逃すと自分の人生は、きっとどうしようもなくなると感じていた。
画接というのに、面接らしくない。世間話をして、最後に出されたゴディバのチョコレートをお土産にくれた。ゴディバなんて高級品は初めてだった。
先生は88歳という年齢を全く感じさせず、最初からフレンドリーに話してくれた。
「来月からおいで」の一言で私は入社が決まったのだ。面接を終えた私は、外で不安そうに待つ母に、両手で大きく“マル”のマークをしてみせた。
後から、先生が、「この子に、私のこと作家と知ってる? と聞くと、『いいえ』、私の本読んだことある? と聞くと『いいえ』と言ったから採用した」と聞いた。先生のファンや、作家志望の文学少女だったら、仕事にならないから断るつもりだったらしい。口先だけでも知ったかぶりを言わなくてよかった……。