先生との日々は尊いもので、宝物だった
2021年11月9日、瀬戸内寂聴先生が亡くなった。私は今も先生がこの世にもう存在しないことが理解できていない。
やることが多すぎて、その上、手探りで一つ一つこなしている日々。
世間は放っておいてくれず、終日続くマスコミの取材の来庵や電話、寂庵前の張り込みなど、悲しむ暇もなくそっちに気を持って行かれた。「先生ってそれほどの人だったってことだよね」と言われて、そりゃそうだと思いながらも、こんなときこそそっとしておいてくれない? と泣きたくなった。
先生は寂庵にずっと帰りたがっていた。「死ぬのは寂庵がいい」、そう言っていた。帰る準備もしていたのに、それを待たずして先生の容体は急変し、逝ってしまった。
「先生のそばに最後までいる」と決めていたけれど、そんなに簡単なことではなかった。大切な人の死に直面するということは私が想像していた以上にきついことだ。
「瀬尾さんの声を一番よく間いていたし、慣れているから先生は理解しやすいんだね」と入院中によく言われた。会話は出来なくとも、先生は耳が聴こえていて私の言うことは理解していたし、相槌も打ってくれた。
先生が亡くなる前日、私は先生と二人きりになれた。私が一方的に話していたけれど、息子の話をすると先生が笑った気がした。いや、絶対笑った。まさかその時が先生との最後の会話になるとは思わなかったけれど、その時間が持てたこと、今でも本当に良かったと思う。
先生との時間はいつか終わりがくるとしても、こんなに急にくるとは思いもせず、私の半身がどこかへもぎとられていくような気持ちになる。温かくひだまりのような先生の笑顔がもう見られないと思うと、私の心は寒く心細くなってしまった。
けれど友人が教えてくれた言葉に、「失くしたものより残ったものを数えろ」という名言があって、私もそうしようと思う。
先生との日々は尊いものであり、私にとって宝物であったことを強く感じている。