先生に教わったこと

23歳だった私は、この10年、先生のそばで成長してきた。いろいろな場所にも同行させてもらったし、たくさんの人に会わせてもらった。自分の人生にはありえないような経験もさせてもらった。

『寂聴さんに教わったこと』(著:瀬尾まなほ/講談社)

先生は手取り足取り教えるタイプじゃなくて、基本的に私に任せてくれた。そして私を、人前で褒めてくれた。実は自信のない私にとって、それがどんなにうれしかっただろうか。もっともっとがんばろうと思えた。先生の役に立ちたいと思うようになった。

それでも、素直に受け止められないときがあった。

「私なんか」とよく言っていた。先生が私を過大評価している気がしたから。そんな私に先生は、「『私なんか』なんて、決して言わないで。この世でたった一人の自分を粗末に扱うなんて、自分に失礼よ」と強く言った。

全くそんな発想がなかったので驚いたけれど、先生が私のことを想って、私の存在価値を認めてくれたようで、とても嬉しかった。

先生に教わったことは他にもたくさんある。

まだ青かった私は、世の中のものは正義と悪、自と黒に分かれていると信じていた。だから、間違っている! と相手を責め立てても当たり前だと思っていた。

先生は、そうじゃないことを教えてくれた。世の中にはグレーもあるってこと。正義だけを押し付けることが正しいとは限らないこと。

聖書にこんな話がある。

姦通した女に石を投げつけて殺そうと訴えた民衆に、イエスは「罪を犯したことのない者から石を投げなさい」と言った。人々は一人、二人と去り、やがてその場に残るのはイエス一人になったという話だ。

ハッとした。「こうあるべきだ」と決めつける私も、その民衆と同じだったのだ。

先生は「愛することは許すこと」と言う。私はいつも先生の寛大さや心の広さに、自分の小ささを痛感させられてしまうのだ。

20代の頃の私は、先生にひどい仕打ちなした人に先生が親切にしている姿を見て納得がいかず、先生に訴えたりもした。先生はその都度、私のことをさとしたり、ときには叱ったりした。腑に落ちない私はふてくされたりもした。先生の考えを尊重するより、自分の想いで動いていたように思う。

自分の仕事で忙しい先生を、私の未熟さで煩わせたし、めんどくさかっただろうなと、今になって思う。でも先生は私を手放したりしなかった。