先生がいいと言うならいいんだ

先生と出会えたことが、私の人生を大きく変えた。

私は先生に伝えたいことや誤解を解きたいことなど、時々手紙に書いて渡していた。返事はなかったけれど、必ず読んでくれていた。そして先生は私の手紙を、小説『死に支度』の中で使ってくれた。それを読んだ編集者の方から、「瀬尾さんから見た寂聴さんを書いてみないか?」と本の出版の話をもらったのだ。私の手紙が素直でいいと常々褒めてくれていた先生は、出版の話をすると一緒に大喜びしてくれた。

1967年、40代の寂聴(晴美)さん。当時の書斎にて。『中央公論』1967年8月号より

私の『おちゃめに100歳! 寂聴さん』は処女作ではあるが、先生が一緒に宣伝してくれたおかげで、たくさんの人に読んでもらえた。その後も、「寂聴先生、ありがとう。』と、先生との共著も2冊ださせてもらった。この本に収録した新聞連載(「まなほの寂庵日記」共同通信社)も持てたし、雑誌や新聞でも書かせてもらえるようになった。イベントや講演などの依頼も増え、メディアでの露出も増えた。

しかしそれに伴って誹訪中傷などがあり、私は自分が想像した以上に知名度だけが先走り、自分の知らないところで批判される不安と恐怖に苛まれた。恐くなって布団をかぶって部屋で静かにしていても、私の名前が独り歩きして、様々なことがネットで書かれていたり、身近な人を私が存在するだけで傷つける結果になってしまったりした。

でも先生は、「妬かれるってことは、羨ましいと思われている証拠。妬かれるような存在になったってこと」と言ってくれた。そして誹謗中傷に関しては、「私も昔ひどく言われたことがあるよ。悪ロを言う人があなたを養ってくれるの? そうじゃないでしょう。そんな人のことを気にする必要はない」とも。

秘書として、本当は先生の後ろでサポートするべき立場なのに、先生の隣に並び、メディアにも露出し、ものを書く。それは確かに気に食わない人も多いだろう。けれど、先生はいつも私の背中を押してくれた。「チャンスがきたら逃さないこと。波がきたらそれに乗ること」と言ってくれた。戸惑いや不安の中でも、先生がいいと言うならいいんだと思えたのが救いだった。誰が何と言おうとも、先生がOKならいいじゃないか!と。

先生のおかげで、私は書くことの楽しさを知ることができた。書くって難しいけれど、楽しい。読者の方からの手紙で、私が先生を想う気持ちが、誰かが誰かを想う気持ちと重なることがあると知ったとき、心が温かくなった。書く時だけは格好つけずにありのままでいよう、そう決めた。