町田そのこさん(撮影:本社写真部)
『52ヘルツのクジラたち』で、2021年の本屋大賞を受賞した町田そのこさん。新著『星を掬う』はその受賞後第1作。理由も告げずに幼い娘を捨てて家を出て行った母・聖子と、そのせいで自分は不幸になったと母を恨んで生きてきた娘・千鶴、2人の物語。ラジオ番組に投稿したことをきっかけに、若年性認知症患った52歳の母と再会し、千鶴は過去と向き合うことに――。すれ違う母娘の姿を描きながら、この作品で町田さんが訴えたかったことは? 自らの親との関係や、タイトルに込めた思いも語ってもらった。 (構成=内山靖子、撮影=本社写真部)

母と娘の距離感を模索しながら

前作『52ヘルツのクジラたち』は虐待を受けて育った娘の心情を軸にした物語。それに対して今回は、虐待する母親側の気持ちを掘り下げながら、母と娘の関係を描いていこうと考えました。

というのも、前作を発表した後、何人もの方から「続編は書かないんですか?」という質問をいただいたんですよ。そのときに、続編を書くつもりはないけれど、新たな作品を書くとしたら、今度は虐待をしていた親の側の視点に立ってみたいな、と。わが子に対して、世間から非難されるような非業なことをしてしまった親にも、もしかしたら、やるせない事情やどうしようもない感情があって、そこに至ったのかもしれない――。その感情を『52ヘルツのくじらたち』では十分に書ききれていなかったのではないか。そんな思いが本作につながっていったのです。

町田さんご自宅の本棚(写真提供:町田さん)

実は、私自身も親との関係に悩んだ時期がありました。うちの親はしつけがとても厳しくて。10代の頃、「高校を卒業したら、東京か博多の大学に進学するか就職して、ひとり暮らしをしたい」と私が言っても、「嫁入り前の女の子がひとり暮らしをするなんて許されることではない」と、自分たちの価値観を一方的に押しつける。おまけに、「女は手に職をつけるべき」と、大学ではなく看護か理容の専門学校に行けと、私の進路も勝手に決めてしまって。そんな親のせいで私の人生は狭まった。地元・福岡の小さな町で専業主婦として生きることしかできず、自分の好きな道を選べなかったのだと、今回の物語の主人公・千鶴と同様にずっと親を恨んでいたんです。

でも、30代後半で作家としての道が開けたときに、「違う! 今までの人生が上手くいかなかったのは親のせいじゃない。なんでも親のせいにして、甘えて生きてきた自分のせいだったんだ」と気がついて、そこから親、特に母との関係がガラッと変わっていきました。

今は、その頃とは打って変わって、母とはとてもいい距離感を保っています。私が結婚して自分の家庭を持ってからも、以前は母に叱られることが多かったんですよ。自分なりに一生懸命掃除をして家の中を片付けたと思っても、母の目には「散らかっている」。私なりの《頑張り》が、きっと母の理想とする《頑張り》を満たしていなかったのでしょう。「専業主婦なのに、なぜもっときれいにできないの?」って。実家が近所ということもあり、私の家に顔を出す度に、何かしら小言を言われていましたね。

それが、作家デビューしてからは、以前と同じくらいにしか片付いていないのに、「あら、今日はきれいじゃない」って褒めてくれる。私の仕事にも協力的で、「原稿に追われている」とバタバタしているとお惣菜を買ってきてくれたり、子どもたちに夕食を食べさせてくれることも。中3の娘を筆頭に、3人の子どもを育てながらこうして小説を書いていられるのも、母が家のことをサポートしてくれているおかげ。本当に感謝しています。

以前は、何か行動を起こすわけでもなく不平不満ばかりを口にしていた私のことが心配で、母は何かと口うるさく言っていたのだということもわかるようになりました。だからこそ、今、自力で掴んだ仕事が軌道に乗っている私に対しては、何も言わずに快く応援してくれているのでしょう。大好きなビールを、つい飲み過ぎてしまっても、「仕事でストレスが溜まっているんだから、仕方ないね」と、ぬるい目で見てくれるようにもなりました。(笑)

そんないい距離感で母とつきあえるようになったのは、きっと私が変わったからです。作家になりたいという夢を必死の思いで叶え、自分の人生に自分でようやく責任を持てるようになったから。自分が変われば、親も変わる。そんな私自身の経験も、この作品に反映されていると思います。