「生活をがらりと変えた一番の理由は、踊りのルーツに近いところで生きていきたいという思いがあったからです」(撮影:木村直軌)

裸体で踊ると警察が…

当時、舞台芸術は非常に常識的で、とくに演劇は言葉があるので余計常識から外れられない。そういったものに飽き足らなかったし、反発も感じていたので、土方巽の不思議な踊りを見て「そうか、やっていいことは無限にあるんだ!」と嬉しくなったんです。

それからは、踊りの常識から外れたところに自分を置くようになり、踊るのが楽しくなりました。とはいえ、髪や眉毛を剃り落とし、身体を土色に塗り、裸体で踊るというスタイルは、当時の日本では受け入れられなくてね。裸の状態で踊っていると、すぐに警察に捕まってしまう(笑)。今でいうワイドショーみたいな番組で、たびたびネタにされたりもしました。

ところが78年にパリに招待されて踊ったら、フランス人に絶賛されましてね。ヨーロッパの人たちは、もっと感覚が自由なんでしょう。非常に高い評価をしてくれたわけです。おかげで、まさに一夜にして有名になった、という感じでした。あれは本当にありがたかったですね。帰国したら、手のひらを返したように、日本でも受け入れられるようになりました。

 

――80年代に入ると、世界各国で公演を行うようになり、海外の舞台作品の演出なども依頼されるように。まさに世界を股にかけ、多忙な生活を続けていたが、85年に山梨県に移住。農業をベースとした生活を始める。

 

生活をがらりと変えた一番の理由は、踊りのルーツに近いところで生きていきたいという思いがあったからです。日本の芸能の発祥の地は、都会ではなく農村です。人が自然とかかわるなかで歌や踊りが生まれ、それが芸能となっていきました。

もう一つの理由は、国内はもとより海外からも弟子入りしたいという若い人たちがやってくるようになったこと。みんな食べていくためにアルバイトをしていた。でも、アルバイトで疲れた身体で、一番好きなはずの踊りの練習をするのは理不尽ではないか。そう考えたのです。