「何より、監督が『最後に斬られて死んでいくところは、踊りのようにやってみてください』と言ってくださった。それが嬉しかったですね」(撮影:木村直軌)

収穫した麦からうどんを作って

僕が農業を始めたことを知り、ヨーロッパからもずいぶんいろいろな人が訪ねてきました。すると、とんでもなく広い農地で何十人も一緒に農作業をしているので、みんな驚いていましたね。そんな生活を続けるなかで、農業をやっているなら、農業の身体で踊りが生まれてもいいんじゃないか。次第に、そう考えるようになりました。

皆さんが料理で使うような野菜は、ほぼすべて育てています。もちろん、農薬は使っていません。お茶も栽培しているし、収穫した麦からうどんも作っています。とにかく村にいる時は、一日中立って動いて働いている。今日みたいに椅子に座る時間は、ほとんどありません。(笑)

実は今も、指を怪我していまして。今、竹が繁茂しているところを開墾している最中で、しなった竹が顔にあたるのでゴーグルをしながら作業しているんですけど、それでも額を怪我し、手も切ってしまった。怪我はしょっちゅうです。(笑)

 

――2002年、山田洋次監督の映画『たそがれ清兵衛』の余吾善右衛門役で映画初出演。圧倒的な存在感を見せつけ、03年、第26回日本アカデミー賞で最優秀助演男優賞、新人俳優賞を受賞。57歳の新人俳優が誕生した。

 

山田洋次監督から「映画に出ないか」と声をかけられた時は、本当にびっくりしましたし、正直、「何を言ってるんだ」と思いました(笑)。そして、監督とずいぶんお話をさせていただいたうえで、「じゃあ、これ1回っきりということで出てみましょうか」と、お引き受けしたんです。

当時、いろいろなことに迷っていたのも、お引き受けした理由の一つかもしれません。踊りでさまざまな賞をいただくようになるにつれ、作品を作る行為がビジネス化しかねない。そういうことに対する疑問もありましたし、年齢も年齢だし(笑)、1回くらいはまったく新しいことを試してみてもいいかな、と思ったのです。何より、監督が「最後に斬られて死んでいくところは、踊りのようにやってみてください」と言ってくださった。それが嬉しかったですね。