母の思いつきで歌謡教室に

思えば面白い歌手人生でした。そもそも僕は、歌手になりたくてなったわけではないのです。小学校で空手を始め、中学ではボクシング、柔道を習っていました。

空手仲間とよく一緒に遊んでいたことから、「不良っぽいのと付き合っている」と担任の先生から母へ報告が入ったのがきっかけで、母は僕を作曲家の遠藤実先生の歌謡教室にレッスン生として通わせることにしたのです。

6男3女、9人きょうだいの末っ子。母にすれば、40を過ぎて産んだ僕のことが心配でしょうがない。うちは東京・中野の呉服屋で隣が床屋さんなのですが、そこの職人さんが遠藤実先生の歌謡教室の生徒だったのが運のつきでした。もともと流行歌が大好きだった母は、「これがいい」と思ったのでしょう。否応なしで、反発もできませんでした。

レッスンは週2回。学校が終わるとすぐに教室へ行かねばならず、放課後に友達と遊ぶ暇もない。中学2年から3年間、遠藤先生の門下生として一度も休まず通いました。歌が好きというより、母の思いに応えるためです。

高校1年の時、遠藤先生から歌手デビューのお話をいただいたのですが、この時もまだ、僕は歌手になる気はありませんでした。ただ、先生は力を入れてくださっているし、母も心待ちにしている。拒めないまま、先生が専属となっている日本コロムビアレコードを訪れたのです。

結局、コロムビアでは「若すぎる」と体よく断られたものの、ライバル会社であるはずの日本ビクターへの橋渡しに、遠藤先生が尽力してくださった。そうして、僕は作曲家の吉田正先生の門下に入ったのです。