真っ赤なブレザーから着物姿へ
高校2年になったばかりの6月、まだ正式デビューとなる前に、初めて「潮来笠(いたこがさ)」をテレビで歌ったのが、玉置宏さん司会の音楽番組『ロッテ 歌のアルバム』。僕は真っ赤なブレザー姿でした。
衣装が着物になったのは、7月5日にデビューレコードが発売されてから。吉田先生から「歌は股旅もので、キミのうちは呉服屋だし、着物はどうだい」と提案があったのです。家族は大喜び。白地の衣装にはうちの家紋、そして字の上手な長兄による「橋幸夫」の名が大書されていました。
6月にテレビで「潮来笠」という歌を歌った赤いブレザーの無名の少年。「あれは何者だ?」となったところに、着物姿で正式デビュー。一気に何十万枚というレコードのオーダーがきたといいます。ビクターの戦略が上手だったんですね。
デビュー半年で、日本レコード大賞の新人賞第1号となり、その年のNHK紅白歌合戦にも出場。レコード大賞も二度受賞しました。青春歌謡、叙情歌、「恋のメキシカン・ロック」のようなリズム歌謡まで、新たな曲調のものを出すたびにヒットしたのは、曲を作る吉田先生が「次に何が流行るのか」を絶えずリサーチしていらっしゃったからでしょう。プロデューサー的な、先見の明のある方でした。
ともかくステージ、テレビ、地方公演と目のまわるような日々。後援会の会員は多い時には10万人近くになり、ハワイ、ブラジルにも公演に行きました。当時、ビクターの親会社になったのが松下電器(現・パナソニック)でしたから、劇場公演には必ず松下幸之助さんから花束が届き、大阪では本社の社長室にご挨拶にうかがったものです。
ほかにも、地方公演に行くたび、いろいろなお客さんと接し、社会のさまざまなありようを観察することができました。普通の若者ならば経験できない、芸能人だから見られたものもあったでしょうし、面白かったですね。