俳優や声優、ナレーターとして著名なキートン山田さん。2021年に75歳で引退されるまで『ちびまる子ちゃん』や『ポツンと一軒家』、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』などを長く担当され、その声を耳にしたことのある人も多いのでは。しかし高校卒業後に北海道から上京してきたキートンさん、紆余曲折を経て、創設されたばかりの青二プロダクションに所属。70年代のアニメーションブームの波に乗ったのもつかの間、80年代に入るころには仕事をほとんど失ってしまいます。死ぬことまで考えた、自ら「どん底」と評する毎日を経て、ようやくやってきた転機とはーー。
名前を変えて踏み出した「心機一転」
苦しんで、悩んで、ようやく一歩を踏み出した38歳のある日、「よし! まず名前を変えよう」「芸名をつけよう」と思ったのが、キートン山田の始まりだった。
電車の中で本を読んでいてひらめいたのが「キートン山田」。
字画とか占いとか、そういうことじゃなくて、響きだけでインパクトがあった。自分が本当のやりたいキャラクターは二枚目じゃないっていうことをわかってもらいたくて、畏(おそ)れ多くもチャップリンと並ぶアメリカの喜劇役者、バスター・キートンから名前を拝借したんだ。
当時、芸名にカタカナを入れる声優なんていなかったから、斬新で、自分としては即決だったんだけど、まわりの人たちはみんな大反対。
事務所からは「何を考えてんだ! 名前変えればいいってもんじゃない」。
先輩の柴田秀勝さん(声優や外国映画の吹替、ナレーションなどを務めた「声優界のレジェンド」。代表作に「タイガーマスク」のミスターX、「機動戦士ガンダム」デギン・ザビ、「鋼の錬金術師」キング・ブラッドレイ、「ワンピース」モンキー・D・ドラゴンの声など)からは「お前、ふざけてるのか」。
子どもたちからも「恥ずかしい。カッコ悪いからやめてくれ、そんな名前!」って、もう散々。
声優教室で教えていた生徒たちもみんな笑っていたけど、僕は「いいんだ、これでいく!」って押し切って、1984年(昭和59年)4月1日に改名した。
まずは、キートン山田って看板を変えて、心も変えて、「いまに見てろ!」っていう気持ちだった。