バンド練習を始めて半年ほどたった、1947年の1月。
松谷穣が率いる「ムーンライト・セレネーダーズ」がリビエラで初演の日を迎えた。入口には拳銃を所持した憲兵(MP/Military Police)が立っていた。日本人の男性は入れなかったが、女性はダンスのパートナーとして入場を許可された。開演の合図とともに、バンドのテーマソングである『ムーンライト・セレナーデ』(グレン・ミラー作曲)が始まると、会場はどっと沸いた。演奏はお世辞にもうまいとは言えなかった。それでも、軍服を着た将校たちは、日本人女性と軽やかにダンスのステップを踏み、若い兵士たちは歓声を上げ、口笛を吹き鳴らして楽しんでいた。

米軍キャンプにて。米兵や日本人ダンサーと一緒に。右から3番目が松谷さん

「立派な演奏でしたよ」
後に、松谷は振り返る。
屈辱的な気持ちは一切なかった。
「戦争は終わったな」という感慨だけが込み上げた。
田中と沖本は、苦しかった猛練習の成果をたたえ合った。
兵士たちにPX仕入れのビールを飲まされた。かつての敵も味方もなかった。誰かれなく肩を叩き、抱き合った。一瞬にしてそんな開放的な雰囲気を作ってくれたのは酒でもなく、食べ物でもなく、若い女性たちでもなかった。

ジャズだった。

松谷はもとより、その日、ステージに上がったメンバー全員がジャズの力を思い知ったのである。

「ジャズは人の心を自由にする」と。