また、ある時。
「アルバイトでいいからメンバーに入れてほしい」と、逗子開成中学吹奏楽部の学生が、松谷のところにやってきた。中村政雄先生の紹介で来たという。トロンボーンを吹かせると、驚くほどうまい。渡部泰雄と名乗った。後に「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーになる谷啓だった。

中学校の入学式で歓迎演奏をしてくれたブラスバンド部のトロンボーンに一目ぼれして入部したが、照れ屋だった谷は、トロンボーンという名前を知らず、いまさら「あの楽器は何ですか」とも聞けず、結局、最初は誰もやりたがらないチューバを担当させられた。

卒業後、本人はコメディアンになりたくて、米国の喜劇俳優ダニー・ケイの名を芸名にしたほどだが、劇団民藝や俳優座を訪ねても相手にされなかった。ただし、トロンボーンは超一流の腕前で、谷のコミカルな演奏スタイルに注目したのが原信夫だった。誘われてビッグバンド「シャープス&フラッツ」に入団。たちまち、ジャズ専門誌「スイングジャーナル」の人気ランキングで上位に名を連ねた。トロンボーンのスライドを足で動かして吹き、感極まってスポンと抜いてしまうのが得意技で、決めのギャグは固まった座の空気を一瞬にして吹き飛ばす一言、「ガチョーン」だった。

「松谷の家に北海道からお手伝いさんが来たらしい」
ある日、沖本はそんな噂を耳にした。松谷には芳江という恋愛の末に結ばれた奥さんがいた。3歳を過ぎた幼い息子もいる。家族が食べていくことも大変な時代に、お手伝いさんを雇うとはおかしい。そう思って確かめに行くと、若い女性が一人、住み込んでいた。しかも、松谷の弾くピアノに合わせて達者な英語で歌を歌っているではないか。

「どうしたんだ」と聞く。
「宮城県の矢本から連れてきた」と松谷は答えた。