目標としていた局アナになり、多くの人気番組を担当させてもらって居場所を見つけ始めた頃、27歳の年に退社を決意。当時の私はアナウンサーとして次のステップに挑戦したい意欲に満ちていて、番組改編のタイミングで念願の朝の情報番組にそろそろ抜擢されないだろうか、と淡い期待を寄せていたのです。ところが、チャンスは巡ってきませんでした。

焦る気持ちに追い打ちをかけるように、期待の新人アナウンサーが毎年入社してきます。週刊誌には「ポスト田中みな実」の文字が躍る。
「ポスト……。私はもう過去の人?」
会社員とはいえアナウンサーは人気商売。新旧交代は常なのです。

私が先輩方から番組を引き継いできたように、いずれ彼女たちに番組を明け渡すときがくる。それをいつ告げられるのか、改編の時期になるとそわそわ。退社を決めたのは、こういうことから解放されたかったというのもあったかもしれません。

 

武器のない私、壁にぶち当たって

フリーランスになったところで、現実はそう甘くありませんでした。期待していたようなアナウンサーの仕事をいただけることはなく、望まれたのは《元局アナ》や《ぶりっ子枠》でのバラエティ番組への出演でした。ありがたかったし、楽しかった。けれど、アナウンサーという技術職を手放してまでやりたかったことって何だっけ? と、自分で自分がわからなくなっていた気がします。

考えてみれば、各局にはアナウンサーの精鋭が大勢いて、大したキャリアもスキルもない私をわざわざ起用する理由はどこにもなかったんですよね。局アナに勝る武器を持ち合わせていなかったのが、あのとき浮き彫りになりました。