それからその男は、何回もうちのブザーを押すようになった。この前などは、仲間まで連れてきたのだが、夫は2人に1000円ずつ渡していた。私もホームレスの人には理解を持っているつもりだったが、そう何回も来られたら、近所の手前、恥ずかしくてどうしようもない。

昨日は、私が玄関の前で掃き掃除をしていると、馴れ馴れしく「奥さん、ダンナいるかな」だって。とっさに「いないよ」と言ってしまった。アパートの前の大きなお屋敷の奥さんが、不審そうに私と男を見ていた。

夫は人がいいものだから、頼まれれば貸してしまうのだろう。たまに古本が思いのほか売れると、公園でホームレスに焼酎などをおごってやるという。いい加減にしなよ、と怒鳴りたいけれど、私もなんとなく夫がかわいそうな気がしている。

憎たらしい夫だけれど、長年の借金地獄からやっと抜け出したところで、ふだんは私以外、口をきく人もいない。ホームレスとはいえ、仲良くつきあっているのだ。この前など、「この本まだいるかい?」なんて言いながら、私の本を何冊か持っていった。
とうとう私のものまで、と思うと涙があふれてくる。

今朝もはよから猫ちゃんに会いに行き、昼間は古本あさりをしている夫は、大家さんから「もういいよ」と言われるまで、延々とこんな毎日を続けていくのだろう。


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