この旅がひとりではないことに思い至って
車窓はいつのまにか暮れ、濃い黄昏が濃紺の闇に移ろうとしている。もう郡山に近いと誰かが背後で囁いている。
ふいに、目の中の闇に、赤い透明な火の帯が幾条も並んでゆらめき出てきた。野火だった。夜の野火は鮮やかな朱色の炎を風に揺れる芥子(けし)の群のようにゆらめかせながら、美しく燃えさかっていた。それは華やかで清らかで、何かの聖火のように見えた。
私の明日からの日を、いきなりその火で清め祝福してくれているように思われた。車窓の私の顔の中にも野火は燃えうつり、疲れた醜い私の顔を焼き清め、ふいに少女のように輝かせてくれた。
私はもうひとつの野火の光景を思い出した。ドイツの田舎をロマンティック街道へ向ってタクシーで走っていた時であった。目路(めじ)はるか、さえぎるものもない広い麦畠の真中の道を車はもう一時間以上走りつづけていた。
いきなり行手の畠の中に火の帯が浮び上った。8月の白昼の野火は炎々と燃えひろがり、それはどこまで拡がるかわからない火の海であった。壮観さに打たれて声をあげた時、私は車とすれすれの麦畠の端に立っている大理石の聖母子の像を見た。野火を背景につつましく立ったマリアの顔はほのかに微笑しているように見えた。日本の田舎なら、陽にぬくめられ、風雪に目鼻もかすんでしまった漂渺(ひょうびょう)とした表情の地蔵様が坐っている場所であった。美しいものを見たと思った。
思いだしたこともなかったドイツの田舎のあぜ道のマリア。それもまた私の明日の得度を祝ってくれるために幻に顕れたように思う。
そのとたん、私はこの旅がひとりではないことに思い至った。柴田さんが選んでくれた大ぶりのハンドバッグをあけ、私はまだ一度しか使っていないペリカンの黒い万年筆をとりだした。