すべての日々に仏縁はひそかに結ばれている

私は今、年齢にしては健康だし、ドックに入って、みてもらってもどこひとつ悪いところがなかった。目を酷使するので老眼が人より早く度が強いことくらいである。

1967年頃の寂聴さん。当時は出家前のため「瀬戸内晴美」として活動していました。写真:『中央公論』1967年08号より

目下、仕事には恵まれているし、好きなことを書いていればいい。肉親とのいざこざも一切なく、ひとり暮しだけれど、孤独をかこつ閑もないほど忙しい。子供とは逢えないけれど、子供のような若い男女はいつでも身近に群れ集ってくれる。いわば、何不自由なく、むしろ人からみれば勝手気侭な贅沢な暮しをしていると見られているかもしれない。

それでも私が、他人の目に映るだけの私ではなかったとしても不思議ではないのである。人間は長年つれそった夫婦や、自分の血肉をわけた親子でさえ、互いの心の底を見通しぬけるものではない。少くとも文学者の心など、どんなに単細胞に見えたところで、一色などである筈はないのだ。

生きてきたすべての日々に仏縁はひそかに結ばれているのであって、ある日、それに気づく者と、気づかずすぎる者もまた、有縁、無縁の因縁ごとで、人力の外のことのような気がする。

私が岡本かの子を書いたことも偶然とみえて卒爾ではなく、かの子によって、仏教に目を開かれたことも既に約束されていた有縁なのであろう。さかのぼれば私の生家の家業が仏具仏壇を商う家であったことも、無縁ではなかったのかもしれない。

伊藤野枝、管野須賀子、金子文子等、私の書いた女の革命家たちはすべて国家権力によって無残な殺され方をしている。そのこともまた、私の今度の決心をうながす重大な要因になっている。