「自殺や心中するよりいいでしょう」

城夏子さんが昨日、雨の中をわざわざ届けて下さり、玄関からどうしても上ろうとせず、ただ顔を見ればいいの、これからも小説書くのをやめないようにという意味よといって、お祝いに下さったものであった。

「(ペリカンの黒い万年筆は)これからも小説書くのをやめないようにという意味よといって、お祝いに下さったものであった」。(写真提供:写真AC)

城さんは私の長い髪をかねがね愛してくれていて、切ってはだめだと口癖のようにいってくれていた。今度のことを電話で告げた時、すぐわかってくれた。

「あなたはそういう人なのよ。止めないわ。これからはきっと、もっと素晴らしい恋愛小説が書けると思うわ、でも、淋しいわね」

円地文子さんには4年前、目白台アパートで私の決心を話してあった。源氏を書くためそこに仕事場を持たれていたので、出家の話がしやすいと思ったのだが、円地さんは真向から反対なさった。

「だめですよ、そんなこと、いやよ私は。あなたが尼さんになるなんて、いやですよ」

私はその時の円地さんの一途な口調に、肉親のような愛情を感じて黙ってしまい冗談のような顔をした。今度円地さんに告げるのが最も辛かった。それを告げた翌朝、昨夜は眠れなかったといってお電話を下さった時、誰の時にも泣かなかったのに私は涙をこぼしてしまった。

郷里の70を越した叔母を納得させるにはもっと大変だった。最後まで反対した叔母は、おかあさんが生きていたら何というだろうと嘆いた。私は仕方なく奥の手を使った。

「叔母さん、自殺や心中するよりいいでしょう」

電話の向うで叔母が一瞬絶句した。ややたって、さっきより落ち着いた声がかえってきた。

「そうやなあ、2、3年前から、私はあんたが自殺するのやないのかと、ほんとは夜も眠れんことが多かったんよ」

「だからあきらめなさい、死ぬんじゃないんだから、今よりもっと逢えるんだから」

「ほな、もうあきらめます。でも私は式には行きませんよ。何でそんなむごいこと目の前で見られるものか」