今年こそと決意した理由

私はハンドバッグの中からもうひとつのものをとりだし、掌にはさんで、また丁寧にしまった。白いハンカチにつつんであるそれは手づくりの経本で遠藤周作さんの奥様から贈られたものだった。吉野の紙でそれはつくられており、遠藤夫人の美しい筆蹟で、観音経が写経されていた。

『99年、ありのままに生きて』(著:瀬戸内寂聴/中央公論新社)

遠藤さんには以前宗教上の悩みを御相談したことがあったので、今度のことは、手紙で報告した。すると夫人が早速、この手づくりの経本をつくって祝って下さったのであった。

肉親は姉夫婦しか呼んでいない。他にどうしてもといってくれた友人が5人、列席してくれることになって先発していた。それで充分だった。来てほしかった河野多惠子さんは、

「怖いからいや」

といった。彼女の神経はわかりすぎるほどわかるので止ってもらった。それでも彼女はその日一日、仕事を空白にして、人との面会の約束も一切していないとつげてくれた。あの人にもこの人にも、私はもっと度々逢い、もっともっとやさしさや親切に報いなければならなかったのにと思う。

事前に私が打ちあけた人たちは誰一人、何故そうするのかと訊かなかったことに今気がついた。その人たちは決して、他に洩らす人ではなく、私が選んだ人であったからだが、何故と訊くまでもなく、私がそうすることを、そういうことを思いつく私であることを理解してくれているのだった。

出家の理由をこれとこれだとあげられるのがむしろ、私には不思議ではないかと思う。親しい人の死に逢ったからとか、財産を失ったからとか、失恋したからとか、そんなことで、昔ならいさ知らず、この現代に、簡単に出家が思い立たれるものであるだろうか。