どの修羅も創作の泉

なぜ、私が「家庭を捨てたか」という理由はひとつだ。そこでは自分が切に生きられなかったからである。その点、私は家庭生活からの失敗者であり落伍者だ。

しかし、私が家庭にいた間は、私は家庭の模範主婦であった。貧乏な家計のやりくり、大病の夫の看病、夫の職場の変りめの動じなさ、子育て、夫の友人とのつきあい、料理、そのどれに於ても、平均点をやや上まわる成績を示していた。学生時代から優等生タイプの私は、私の主婦という立場でも、優等生的点数をあげなければ不安であった。

満4年の私の主婦時代のどの時をふりかえっても、家庭に於て懸命に奮闘している若き日の私の姿が浮んでくる。そしてその時、私は確かに幸福であったと懐想する。

ところが、一度、家庭を出て以来の私の暮しぶりをふりかえってみると、他所目には不遇とかみじめとか、貧乏とかいわれて、あわれまれていたらしいその頃のどの時代にも、私は家庭生活を営んでいた時にもまして幸福だったのである。

もちろん、その頃は様々な意味での修羅場の炎をくぐっていた。

恋愛の時もあり、仕事のこともあり、経済的な面のこともあったであろう。世間でいう悩みのある時のことを修羅というなら、まさしく、その日々は修羅から修羅へ明け暮れていた。けれども小説を書くことを仕事に選んだ私にとっては、どの修羅も創作の泉になった。

「けれども小説を書くことを仕事に選んだ私にとっては、どの修羅も創作の泉になった」。(写真提供:写真AC)

私は修羅をのりきるためにあるだけの情熱をかきたてて自分が空っぽになるほど切に生ききらなければならなかった。私は常に情熱的に生きていて、退屈することがなかった。

ただし、一人の人間が本気で情熱の炎をかきたてて生きてみれば周囲はその火で火傷したり火事をおこしたりすることは否めない。私は人を火傷させたり、人の家に火事を移したりしてきた。それははた迷惑なことで、私にとっても本意なことではなかった。

それでも私はぬるま湯のような生き方や、きれっぱしの情熱でこの世をごまかし、自分をごまかして生きることは出来なかったのだ。人にも迷惑をかけず、傷つけず、自分もまたごまかさない生き方はないかと、思いあぐねたまま私は出家する道を選びとった。