心のふるえるようななつかしさと感動
私の家庭はごまかしなんかありませんという幸福な主婦たちの怒りの声が聞えてくる。
それはごまかしに気づいていないだけのことだ。誰かが何かをごまかし、あるいは知っていて目をつぶり、あるいはあきらめ、誰かの犠牲の上になりたっているのが家庭である。
そのことに気づかないのは、本気で自分の内心や、夫や子供の心の底へ入っていったことのない主婦の鈍感さと怠慢さである。
それなら、家庭生活は破壊し、家庭など一戸のこらず地球上からボクメツさせるべきか。
そんな極端なことはしなくていいだろう。人は孤独で生きるようには造られていないから、誰かとよりそって生きたがる動物である。よりそい生きるのに最も便利で、快適な環境を何千年もかかってつくりだしたのが「家庭」であってみれば、利得もあってしかるべきである。
私は旅の途上の列車の窓や、歩いている時、通りすぎる他人の家の灯の色に、いつでも何度見ても心のふるえるようななつかしさと感動を覚える。そこに連想するのはあたたかな炉辺の団欒であり、賑やかな家族の笑い声であり、湯気のたつ食事である。人みながその灯の下に疲れた心身を休めたいと慕いよる灯の色である。
※本稿は、『99年、ありのままに生きて』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『99年、ありのままに生きて』
(著:瀬戸内寂聴/中央公論新社)
<書籍概要> 大正・昭和・平成・令和 4つの時代をかけぬけて――「今、生きていてよかったと、つくづく思います」。デビューまもない36歳のエッセイから、99歳の最後の対談まで。人々に希望を与え続けた、瀬戸内寂聴さんの一生を辿る決定版。