石原慎太郎家の流儀は間違っていると気づいて
よその家と違うことは、気にしていませんでした。よく「誰々くんの家だったらこうしてくれるのに」とか言うじゃない? うちは「家というのは、一軒一軒違うもの」という教えでした。うちが特別変わっているんじゃなくて、それぞれ違う。母親にそう言われたんだったかな。でも母も、父の意思を汲み取って、そうしつけていたんだと思います。
母親は子どもよりも父親が最優先。2人とも俺らのことは眼中にない(笑)。親父とおふくろが揉めた時、止めに入ったことがあるんです。「お父さん、それはひどいんじゃないの」と母親の肩を持ったら、「あんた、お父さんに向かってなんて口きくの」って怒られた。なんだこりゃ、と思いましたね。そういう意味で母は常に父を立てていました。
そんな流儀で育った僕が40歳で結婚して、今は子どもが2人いるわけだけど、ある時気づいたんです。石原慎太郎家の流儀は間違っている、世間では通用しない、と。僕が親父を見習って、こだわっていた部分があるわけですよ。夜は暗い部屋で寝たいとか、ご飯は酒を飲みながらゆっくり食べたいとかね。
だけど暮らしの中では、窓を開けて寝ることだってあるわけです。石原家の教育で僕のこだわりはできているんだけど、ある時から「全部間違っているから、こだわらないようにしよう」と思ったんです。
それを親父みたいな人間に言わせると、きっと「妥協」という言葉になる。妥協する人間は弱っちいと。でもそうじゃなくて、僕はこだわらないことにこだわる。撤退戦を繰り広げているんですよ。いろんなことに譲歩して、後ろに下がる。
どんどん下がっていくと、いずれ崖から落ちるだろうと思ってた。我を捨てて、みんなの言うことを聞いて、ニコニコして、そのうちに俺が俺じゃなくなるって。ところが意外と崖の奥が深くて、結婚してから20年経ってもまだ落ちていないんです(笑)。だから僕はこの20年で、ものすごくいい人になったと思いますよ。(笑)